2017-07-10 第193回国会 衆議院 文部科学委員会内閣委員会連合審査会 第1号
我々のときも、森友のときにも出てきますけれども、鴻池大臣、私がお仕えしていた大臣です。当時の文部科学省の遠山大臣と、大臣同士でかんかんがくがくのやりとりをしながら、NPOや株式会社が学校経営をすることを認めるとか、そうした成果を上げましたよ。しかも、それに従って、全国で多くの人がその規制の特例措置を受ける手を挙げ、認められていったんですよ。
我々のときも、森友のときにも出てきますけれども、鴻池大臣、私がお仕えしていた大臣です。当時の文部科学省の遠山大臣と、大臣同士でかんかんがくがくのやりとりをしながら、NPOや株式会社が学校経営をすることを認めるとか、そうした成果を上げましたよ。しかも、それに従って、全国で多くの人がその規制の特例措置を受ける手を挙げ、認められていったんですよ。
鴻池大臣が御担当ということでありましたので、参議院の先生が御担当ということで、私は、今、野上先生がいらっしゃるところの秘書官をやっておりましたので、まさに参議院の副長官の下で、参議院の大臣が関わられていた構造改革特区に秘書官として関わらせていただいた。もっと言えば、そこに来るまでの間、役所の中で何年も掛けて制度創設をめぐる議論があったわけです。まあ、せめぎ合いと言っていいのかもしれません。
それはなぜかというと、次のページをめくっていただきたいんですけれども、「構造改革特区における提案件数と規制改革実現の割合」、最初三〇%、これは鴻池さんが大分頑張って、各大臣と夢中になって折衝して、このころ、小泉政権は道路公団改革とかあるいは郵政民営化というのが大きなテーマだったんですけれども、なかなか実現する玉がないこのはざまに、鴻池大臣がさまざまな役所とのかけ合いのやりとりを公開の場でやって、三〇
やっぱりここは、やっぱり鴻池大臣が一番これ財務省に秘書を通じて何度も何度も陳情して絡んでいたわけですね。それで、こういう分からない発言しているわけです。雑誌にはやってないと言い、パーティーでは会場の人たちに、私はちゃんと大臣に報告していると言っているんですね。ですから、これ、是非とも鴻池大臣も、これ……(発言する者あり)ああ、鴻池議員も証人喚問に呼ぶべきだと思いますね。
資料の三というのをごらんになっていただきますと、これまで、平成十九年から二十六年まで、構造改革特区制度、これは私も成立に携わった問題で、そのときの担当大臣が鴻池大臣だったというのはこれまた奇遇なわけでありますし、そこにいる藤原さんとも、共謀というか共同してこれをつくったものでありますけれども、これはずっと認めてこなかったんですね、民主党政権時代も含めて。
あのときの鴻池大臣なんかもそういう仕事をされておられました。 特に全国知事会の「地方創生のための提言」というところでは具体的にもう挙げていて、農地転用許可権限の市町村への移譲、それとハローワークの地方移管、この二つに絞って挙げています。
そして、当時、鴻池当時の特区担当大臣、今座っていらっしゃいませんが、参議院出身の鴻池大臣が、参議院の官房副長官、当時、上野公成先生でしたが、のところへ何度も来られて、そして当時の特区制度の創成期というんでしょうか、始まりのところ、一生懸命苦労してつくられた、それを下支えを少しだけ手伝わせていただいたという経験がございます。
これまで特区、鴻池大臣が一番最初に始められた、まさに当時の大臣が始められた特区でございます。私もかかわらせて当時いただきました。これまでの特区の、構造改革特区や総合特区がございましたけれども、その成果と課題、意義、こういったものについて概括的にどういうふうに思っていらっしゃるのか。
ある方は、麻生総理に親しいある大臣は、鴻池大臣は、以前にこれのことを、いや、これ宝刀だと思って刀で切れると思ったら木刀だったと、何にも切れなかったとおっしゃったことがありましたけれども、そうなっているんですよ。 だから、私が申し上げたいのは、別にこの規定を使うだけが能じゃないですよ。
そのときに、この権能が鴻池大臣にあるかないかということになって、実は鴻池大臣は特命担当大臣であるけれども、内閣府設置法十二条に基づく勧告をする権限はないという解釈を政府は取っていたように私は思います。一回もこの内閣府設置法十二条の適用事例がない。 そして、そもそも内閣府設置法十二条はどういう事務に対してできるかということについて非常に限定的な解釈を政府が伝統的にしている。
端的に伺いたいんですが、このとき、鴻池大臣が閣議後の記者会見で、この加害少年の親は市中引き回しの上、打ち首にすべしと。これは、その後どういうふうに修正されたのかは別にして、そういう発言をなさったということは覚えていらっしゃると思うんですが、法務大臣として、こういう考え方についてはどういうスタンスでとらえられているのか。
鴻池大臣がどういうお気持ちだったのか、ちょっと正確にわかりませんけれども、感覚的に、そういう気持ちの方も世の中にはおられるだろうなと思わないでもありません。
これは法務省刑事局長に伺いますが、ただ、鴻池大臣は、この発言はともかくとして、考え方として、やはりこの少年法は甘いんじゃないかという問題意識を明確に持たれたようで、少年非行対策のための検討会というのをみずから持たれ、二点、触法少年にも警察の調査権の付与、少年院入院年齢の引き下げ、いわゆる鴻池私案というものをまとめられて、この年、二〇〇三年、青少年育成施策大綱をまとめられた、このことが法制審議会に諮問
しかし、それに対してやはり政治の場の人間は現場に行って、できるんだという、何ができるのかを見極めなければいけないという、これも実は鴻池大臣の主張なんですけれども。 ところで、渡辺大臣、この特区に関係して現地視察というのは行かれましたか。
最後は、当時の担当大臣である鴻池大臣にたたき切ってもらうという、こういう内閣委員会劇場で大いに沸いたんですけれども、しかし残念ながら、その後、大臣もたくさん替わられ、長年、五年間たってきて少しこの委員会劇場もおとなしくなってきている。 しかし、私、渡辺大臣に大変期待しているんですよ。勝手な解釈なんですが、どことなく鴻池大臣と渡辺大臣、醸し出す雰囲気が似ていると。
今までは、この条文はあるけれども、まあこれはさておいて、鴻池大臣のように突破力のある政治家がこじ開けてやってこられたんだと思います。私も突破力を買われて安倍総理から任命された人間でございますので、先輩のいろいろな手法も学びながら、こういう条文も頭の片隅に置いてやってまいりたいと考えております。
まず官房長官にお伺いをしたいんですけれども、かつて小泉内閣の際に、例えば構造改革特区なんかでは、鴻池大臣が、特命事項を担当する大臣ということで、特命担当事項大臣ですか、ややこしいですけれども、特命担当事項大臣として就任をされた。それが、二〇〇三年の四月一日からは、これは特命担当大臣という位置づけになされました。これは違うんですよね。特命担当事項の大臣と特命大臣というのは、これは別になるわけですね。
それから、穂坂参考人におかれましては、ほとんど私どもが参考にさせていただいた御意見でございますので、そういう意味では、中身についてはもう全くそのとおりだというふうに私どもも思っているわけでありますが、この度、内閣府の方で、参考人が当時の鴻池大臣に御提案をされた教育委員会必置義務についての報告書へ盛り込むということになっていたのが見送りになっております。
○峰崎直樹君 いわゆる規制改革特区ですよね、鴻池大臣時代にはもうすばらしい仕事をなさったなと思って、本当に私は敬意を表している一人ですけれども、あの規制改革というのは、各省庁の様々な規制、経済的な規制もあれば、社会的な規制もあれば、あるいは参入規制もあれば、行為規制もあれば、様々規制があるわけですね。それはよく分かります。
そして、抜いていって、先ほどの幼保一元化のように、既成事実として全国展開を図っていくような形にするということで、この特区法というのは鴻池さんが一番最初に御苦労されてやったんですが、鴻池大臣のおかげで、小さく産んで大きく育っている、私はそういうふうに思っています。
ただ、我々としては、とにかく鴻池大臣、前大臣のおかげでここまで来たわけですから、各省庁で折衝して時間が掛かる場合にはなるべく可及的速やかに上の方へ上げてこいと。それで、予算措置だとか必要なときは大臣同士の折衝でやると。
それがなぜか、これはたまたま鴻池大臣がお辞めになった後の改造内閣のこれ初基本方針ですか、ここでは、構造改革特区、都市再生、観光立国を推進し、地方を活性化するという、なぜか都市再生とか観光立国と横並びになって、目的が地方を活性化するなんですよ。
だから、先ほど申し上げたように、鴻池大臣のときの特区が、おかげで、やはりみんなが自分たちの地域に合ったアイデアを出そうということで、もう五百七十九も特区の認定も受けましたし、それでまあこの間の参議院の予算委員会で説明させていただいたようにすばらしいアイデアがどんどん出てきている。
ところで、この地域再生法に先立って、鴻池大臣の下で特区の制度が二年間先行しておりますし、また法的な裏付けはともかくとして、地域再生事業が行われております。
ただ、今日はやっと鴻池元大臣が見えたんで、改めて言わしていただきますけれども、鴻池大臣が特区のときに本当に御苦労されました。私もそばで見ていてお気の毒ぐらいバッシングされました。しかし、あの鴻池大臣のやっぱり御努力が今日の特区のやはり結果、成果が出ているんだと思います。我々も、いろいろな御意見、御批判はよく分かっています。決してパーフェクトだとは言うつもりはありません。
構造改革特区の分野におきましては、鴻池大臣のときに一生懸命努力されたおかげで、全国に四百七十五の特区が認定されており、その中には、四日市市コンビナート特区のように、保安関連の規制を改革することで五年間で約七百億円の設備投資を呼び込むなど、大きな経済的効果が期待できる特区も出てきています。
特に、鴻池大臣は一生懸命やって、いろいろなところではっきり言えばバッシングされました。しかし、やはりあのときに鴻池大臣が体を張って突破口を開いて特区制度をつくったことが、今日のいろいろなアイデアが出てきて、特区が宝の山になってきたんじゃないかな、私はそう思っております。